来日特集!ドゥービー・ブラザーズのサウンドと機材プチ探求

行ってきました!ドゥービー・ブラザーズ武道館コンサート!三週間経ってしまいましたが、まだその余韻に浸っています。1970年代に青春時代を送った私には超ストライクの音楽です。武道館は、仕事帰りを思しきスーツ姿のサラリーマンはもちろん、当時の雑誌ポパイを連想させるチェックのネル・シャツにサングラス姿のチョイ悪オヤジ達に埋め尽くされました。

今回はそんなドゥービー・ブラザーズの音楽と彼らが愛用してきた機材を紹介いたしましょう。

ドゥービー・ブラザーズは、ギター、ボーカル担当のトム・ジョンストンを中心にサン・ホセで結成され1971年にデビュー。間もなくドラマーを増員。ツイン・ギター、ツイン・ドラムとなったセカンド・アルバム『トゥールーズ・ストリート』(1972年)から、「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」、「キリストは最高」がヒットし、一躍人気バンドのひとつとなりました。ドライブの効いたロック・ナンバーを基盤としながらも、R&Bテイストが見え隠れし、またフォーキーな楽曲をミックスすることで独自の世界を作り出しました。

白人ながら黒人を思わせるハスキーなトムのボーカルをフィーチャー。『トゥールーズ・ストリート』からは黒人ベーシスト、タイラン・ポーターが加入し、一聴して彼らと分かるアンサンブルを確立しました。西海岸のバンドでありながら、南部のバンドに通じるファンキーでグルーブ感溢れる骨太な演奏が特徴。もう一人のギタリスト、パット・シモンズはフォーク畑出身で当初はアコースティック・ナンバーで存在感を示していましたが、間もなくエレクトリック・ギタリストとしても頭角を現し、トムとともにバンドの二大看板となりました。

↑Toulouse Street

そして、1973年発表の『キャプテン・アンド・ミー』から「ロング・トレイン・ランニン」、「チャイナ・グローヴ」がヒット。さらに1974年発表の『ドゥービー天国』からは「ブラック・ウォーター」が初の全米ナンバー・ワン・ヒットとなり、人気を不動のものとしました。ロサンゼルスを拠点にしたイーグルスとともにウエスト・コースト・ロック、アメリカン・ロック・シーンを牽引するバンドとなりました。

この時代のドゥービー・ブラザーズと言えば、今でもコンサートのハイライトとなる「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」、「ロング・トレイン・ランニン」、「チャイナ・グローヴ」に代表されるギターのカッティングのリフがポイント。ギター小僧たちを熱くさせました。

↑The Captain and Me
1975年発表の『スタンピード』から、それまでもペダル・スティール・ギターで客演していた、スティーリー・ダンのジェフ・バクスターがギタリストとして正式加入し、トリプル・ギターとなりました。おりしも、同年「メイド・インUSAカタログ」が発行され、また翌1976年の「ポパイ」が創刊され日本で西海岸ブームが沸き起こりましたが、長髪、髭、サングラス、革ジャン、ジーンズをまとったアメリカのバイカーを連想する彼らのファッションも恰好良く、ドゥービー・ブラザーズはサウンド面、ファッション面ともに、日本の若者を魅了したのです。

↑Stampede
しかしながら、トム・ジョンストンが健康上の理由で退団。代わりにやはりスティーリー・ダンのメンバーだったマイケル・マクドナルドが加入。ボーカルとピアノを担当するようになります。1978年発表の『ミニット・バイ・ミニット』ではサウンドが一変し、ギター中心のダイナミックなアンサンブルから、キーボードを前面に出したソフト・ロック路線に進みました。賛否両論はあったものの、「ホワット・ア・フール・ビリーブス」が全米ナンバー・ワン・ヒットとなり、同曲でグラミーを受賞するまでになりました。この曲におけるマイケルのピアノ・リフは当時の音楽シーンに多大な影響を与えました。

その後、ジェフ・バクスターが脱退し、カントリー・ロック・バンド、クローヴァーのメンバー、ジョン・マクフィーが加入。その頃のライブ映像が当時注目されたレーザー・ディスクで発表されました。
1982年に一旦解散しましたが、1989年にトム・ジョンストンを中心に再結成を果たし、断続的な活動を続けています。

↑Minute By Minute

私はマイケル・マクドナルドがヤマハのCPを弾く時代も知る世代ですが、ギターをかじる人間にとってドゥービーの真骨頂と言えば、躍動感のあるギター・リフということになるでしょう。そんな彼らの使用ギターを紹介しましょう。
初期のドゥービーでは、トムはギブソンのエレキ・ギターを好んで使っていました。ゴールド・トップのレスポール(レスポール・デラックスのミニ・ハムバッカーをP-90に交換したもの)、ファイアバード、L-5Sなどです。ブルースの影響を強く感じるトムの粘り強いプレイを象徴するアイテムと言えるでしょう。同じ頃、パットはギブソンのES-335などのセミアコをメインに使用していました。レコーディングではアコースティック・ギターも多用されていますが、おそらくマーティンがメインでしょう。上述のレーザー・ディスクで見られる後年の演奏では、オベーションが使用されています。

ジェフ・バクスターは、ドゥービー・ブラザーズ在籍中は主にストラトキャスター・タイプ、テレキャスター・タイプのギターを使用していました。どちらも友人に作ってもらったと語っていました。後者はストリングベンダーが搭載されており、画像ではデイヴ・エヴァンズのギターのように見えます。

ジョン・マクフィーは、加入当初、このバンドにはやや不釣り合いなルックスのディーンのエレキ・ギターを多用していました。

先日の来日公演はドラマーが一人のみでやや寂しさも感じさせましたが、それでもトリプル・ギターが並ぶ姿は圧巻。トム、パット、ジョンともに年齢を感じさせないギター・パフォーマンスを披露してくれました。
客席から見る限りの情報になりですが、エレキ・ギターは、トムがPRSカスタム24、パットがウエストウッド(ギター・テクニシャンのハンドメイド)のストラト・タイプ、ジョンがヴァリアックスのストラト・タイプを主に使用。アコースティックは、トムがコリングス、パットがターナー、テイラーを使用していたようです。個人的には、トムに操られるPRSのサウンドが耳に残りました。多彩なキャラクターを持つPRSですが、トムは男らしく粘り強いブルース・ロック系のトーン一本で勝負。いやあ、実に恰好良かったです。

ちなみに、今回は古くからドゥービーをサポートしている、リトル・フィートのピアニスト、ビル・ペインがサポート・メンバーとして同行。また満を持して正式メンバーとなったベーシスト、元ニュー・グラス・リヴァイヴァル、元スカイ・キングスのジョン・コーワンの活躍ぶりにも目を見張るものがありました。

↑トムのゴールド・トップ・レスポールのイメージに近い現行のヒストリック56年リイシュー。

↑現行のファイアバード。1970年代アメリカン・ロック、ブルース・ロック・ファン垂涎アイテム。

↑現行のES335。かつてのパットと言えばギブソンのセミアコが定番。フュージョンでも人気のモデルですが、ボーカル主体のロック・バンドでも人気でした。

↑近年のトムのイメージはこちら。PRSカスタム24。

さて、この記事がアップロードされる頃には、私も某所でドゥービー・ブラザーズなどの1970年代のアメリカン・ロック・ナンバーを奏でている予定です。1970年代から離れられない、永遠の陸サーファー、白井がお送りいたしました。

シェアする