「昭和30年代男の憧れ2 ギブソン・フォーク・ギター」
昭和30年代男の白井です。前回のマーチンに続いて、今回はギブソンのフォーク・ギターを昭和30年代男の目線で紹介いたしましょう。
<つま恋、人生を語らず>
先日、ヤマハのリゾート施設つま恋が営業を中止するというニュースが報じられました。私達の世代には残念であり、またひとつの時代の終了を感じさせる知らせと言えましょう。つま恋は、プロへの登竜門、ポプコン(ヤマハ・ポピュラー・ミュージック・コンテスト)や、吉田拓郎とかぐや姫の伝説のオール・ナイト・コンサートなどが開催され、特に70年代の和製フォーク&ロック、ニュー・ミュージックのファンには聖地的な存在となっていました。
私は三年前、毎年つま恋で開催されている「We Love つま恋 Music Camp」に井上ともやすバンドのメンバーとして参加いたしました。元々は「We Love 拓郎 Live」としてスタートしていたイベントですが、吉田拓郎ファン以外にも参加してもらおうとタイトルを近年「We Love つま恋 Music Camp」に変えたそうです。とは言え、出演者の大多数は私と同世代で、拓郎ナンバーを演奏していました。しかもギブソンJ-45を持った参加者の多さが印象に残りました。吉田拓郎はいろいろなギターを使ってきましたが、その中でも初回のつま恋コンサートで使用し、また『人生を語らず』のアルバム・ジャケットに写っていたラウンド・ショルダーのJ-45を吉田拓郎の象徴的なアイテムと捉えている方が多いと言うことでしょう。もちろん、そのとき井上ともやすも拓郎ドンズバのビンテージJ-45を使用して拓郎ソングを熱唱。私はバックでエレキとスティール・ギターを演奏しました。
つま恋のステージで演奏する井上ともやすバンド(2013年9月)
悪天候のため屋内ステージでの演奏となりました。中央でのけぞっているのが井上ともやす。その背後でベースを弾くのは元・猫の石山恵三。ホンモノの吉田拓郎のバックアップ・ミュージシャンです。そして左でスティール・ギターを弾いているのが私、白井です。
さて今では楽器店に当然のごとく販売されているラウンド・ショルダーのJ-45ですが、当時流通していた新品のJ-45はスクエア・ショルダー仕様。吉田拓郎と同じギターを楽器店で見つけることは困難でした。日本製のコピー・モデルが全盛の時代でもありましたが、70年代前半ではラウンド・ショルダーのギブソン・タイプのギターを作っていたのはチャキ位しか無かったと記憶しています。しかもチャキは完全コピーではなく、ギブソンのコピー・モデルに特化したキャンダでさえもJ-45タイプはスクエア・ショルダーという有様でした。吉田拓郎の活躍を反映してか、70年代後半になってバーニー(フェルナンデス)がようやくラウンド・ショルダーのJ-45コピーを販売しますが、どうした訳かヒット商品になっていた様子はうかがえませんでした。デパートやレコード・ショップでも買うことができたヤマハやモーリスのフォーク・ギターと違って、バーニー製品は扱っているお店が限られていたことが原因かもしれません。と言うことで、当時の少年の拓郎ファンはJ-45に対してフラストレーションを溜めたまま大人になっていったのでした。
<ラウンド・ショルダー復活>
本家ギブソンのJ-45は1982年に一旦製造を中止されますが、1984年にラウンド・ショルダー仕様で復活します。日本の市場に復活したJ-45が流通するのは少し後になりますが、90年代以降J-45の魅力に気づいたJ-POPアーティストが、改めてJ-45に陽の目を浴びさせました。ゆず、山崎まさよし、斉藤和義、福山雅治などJ-45を愛用するミュージシャンの数はかつてを凌ぐほど増えました。本国アメリカでもオルタナティブ・カントリー、アメリカーナの流れの中でJ-45をはじめとしたギブソン・アコースティックの人気が盛り上がっているようです。
吉田拓郎が最初に使用した伝説のJ-45はブラウンのサーバースト・フィニッシュが施された1967年製でした。ナロー・ネック、ラージ・ピックガード、アジャスタブル・サドル、プラスチック・ノブで二こぶのキーストーン・チューナーがフィーチャーされていました。なおチューナーは後年グローバーに交換されたようです。また当時のレギュラー・カラーはチェリー・サンバーストですので、ブラウンのサンバーストはイレギュラーの仕様ということになります。残念ながらギブソンのレギュラー・ラインナップにはこのJ-45とドンズバの製品はありません。また本人も後年になってワインレッド、エボニー(ブラック)のJ-45を使用しており、緩やかにラウンド・ショルダーのJ-45という括りで捉えるのが拓郎ファン的J-45の楽しみ方ということになりましょう。
それではまず現行のJ-45のレギュラー・モデル2機種を紹介いたしましょう。
現行のスタンダード・モデルにはピックアップ、プリアンプが標準装備されています。フォーク酒場、オープン・マイクのイベントでは即戦力です。ペグは精度の高いグローバー・ロトマティックが採用されており、実用性の高いアイテムになっています。ギブソンらしさを感じさせながらも、音のまとまりが良く、演奏スタイルを問わない洗練されたJ-45です。
トップにビンテージ・ギターの鳴りを再現する加工を施した上位バージョンです。プラスチック・ボタンのペグ、ヘッドに施されたバナーのプリント、艶を抑えたフィニッシュなどビンテージらしさにこだわっています。しかも、ピックアップはあえて搭載していない潔さも魅力。ボリュームがあり、ギブソンらしいジャキジャキとした響きが存分に味わえるモデルです。
<J-45紹介動画>
ちなみに上記二種類を紹介する動画があります。すでにご覧の方もいらっしゃるかと思いますが、改めて紹介させていただきます。
さて、せっかくなので吉田拓郎が近年使用しているJ-45のうちの1本をイメージする商品もご紹介しましょう。
エボニー(ブラック)のボディにGibsonロゴが入った白いピックガードが映える限定モデルです。限定と言っても、細部の使用が異なる場合はありますが、繰り返し登場しているアイテムですので入手はしやすいです。1960年代に存在したレアカラー・バージョンのJ-45の復刻版です。画像はアジャスタブル・サドル仕様です。より歯切れの良い音色が楽しめます。
<まだまだあるぞ昭和30年代男のギブソン・フォーク>
実際のところ、フォーク・ブームの頃、ギブソンのフォーク・ギターと言えば、J-45よりハミングバードやダヴ(「ドヴ」の方が馴染み深いかもしれません)の方が人気があったと思います。当時ラウンド・ショルダーのJ-45は吉田拓郎以外に使っている著名アーティストがいませんでしたが、ハミングバードはかぐや姫の南こうせつ、古井戸の仲井戸麗市、加奈崎芳太郎、RCサクセションの忌野清志郎、グレープの吉田正美、ダブはかぐや姫の伊勢正三、アリス谷村新司らが使用しており、フォーク雑誌のグラビアやレコード・ジャケットでお馴染みのモデルでした。日本のブランドでJ-45のコピー・モデルを作っていたところは多くはなかったですが、ハミングバード、ダヴのコピー・モデルは各社が競って作っていました。またハミングバードは、あの「メイド・イン・USA・カタログ」の表紙にも登場していました。
ちなみに、ギブソンのフラッグシップ・モデルJ-200は海外ではボブ・ディラン、ニール・ヤングらが使用していましたが、あの頃の日本のフォーク・シーンでは見かけることがなかったと記憶しています。当時はギブソンだと思っていたGAROの日高富明のJ-200はアイバニーズのコピーでしたし。
さて、残念ながらダヴはレギュラーのラインナップから外れてしまいましたが、ハミングバードは現在も販売されています。最後に紹介いたしましょう。
ハミングバードはJ-45と同じウッド・マテリアルを採用していますが、スクエア・ショルダーを持ちギブソン・フォーク・ギターのラインナップの中で各音域のバランスが良いギターです。中でもこのSモデルは、J-45 Standard同様ピックアップ、プリアンプが標準装備されグローバー・ペグを搭載するなど現代的にアレンジされており、様々なシチュエーションでよりオールマイティに使える仕様となっています。1970年代の製品と較べると若干デザインや色味が異なりますが、ハチドリが描かれたピックガードを見ると、懐かしい気持ちが蘇る方もいらっしゃるでしょう。
J-45 Vintage同様、トップにビンテージ・ギターの鳴りを再現する加工が施されています。プラスチック・ボタンのペグ、艶を抑えたフィニッシュをフィーチャー。ゴリンゴリン鳴る低音とシャキっと切れ味の良い高音のバランスが絶妙な逸品です。より贅沢な鳴りを楽しみたい方にお勧めのモデルです。
いかがでしたでしょうか。フォーク・ブームの出来事に触れながら、あの頃憧れたマーチン、ギブソンについて二回に渡って書いてきました。懐かしいレコードを引っ張り出して、ギターを弾いて歌って、青春時代を振り返ってみてはいかがでしょうか。